茨田中学校の歴史
〒538-0051 大阪市鶴見区諸口3-4-44
昭和22年 | 4月21日 北河内郡茨田町、 南郷村学校組合立 茨田郷中学校創立 |
昭和23年 | 本校を茨田南小学校に移転 |
昭和24年 | 本校を茨田北小学校に移転 |
昭和30年 | 北河内郡茨田町が 大阪市城東区に編入される |
校名を茨田中学校と改称 | |
昭和32年 | 10周年記念式典挙行 |
昭和35年 | 鉄筋3階建校舎完成 (以後1年毎に鉄筋校舎増築) |
昭和43年 | 分校独立、茨田北中学校として開校 |
昭和48年 | 鶴見区が城東区から分区 |
昭和56年 | 生徒数増加に伴う校区分割により、 横堤中学校創設 |
平成 2年 | 地下鉄鶴見緑地線開通 EXPO90国際花と緑の博覧会開催 |
平成 3年 | 現プール竣工 湯沸し室完成 |
平成 4年 | 体育館兼講堂竣工 |
平成 6年 | 格技室竣工 |
平成 9年 | 創立50周年記念式典挙行 記念碑「創造」寄贈される |
平成10年 | 茨田小学校が 茨田南小学校から分離独立、 茨田西小学校とあわせ、 校区の小学校は3校となる。 |
平成19年 | 創立60周年記念式典挙行 |
教育目標
《校訓》強く、正しく、朗らかに
《学校経営目標》学びを中心とする集団と、
仲間を大切にする生徒の育成に努める。
《めざす生徒像》
自らの力で未来を切り開き、
常に夢や希望を持ち続ける生徒。
地域に愛され、
地域に貢献できる心豊かな生徒。
《つけたい力》
変化する社会の中で
これからの未来を
生き抜く確かな学力と体力。
《具体的方策》
1.
授業についての
興味・関心を高め、
自主的に学習に取り組む
態度の育成に努める。
また画面で図や資料を
効果的に見せることで
授業効率化を図り、
見直しの時間や
個々の生徒に対応する
時間を増やし学力を向上させる。
2.
総合的な体力をつけるため、
激しい運動から柔軟性まで
自ら取り組める授業の展開や
準備運動を実施する。
3.
学校、家庭、地域との連携を密にし、
生徒に基本的生活習慣を確立させ
規範意識の醸成を図る。
4.
PTA、地域、学校が一体となって
健康に関しての連携を図り、
健康に関しての取り組みを
推進させる。
5.
発達や学びの連続性を図るため
小中連携をこれまで以上に密にする。
部活動
バスケットボール部・陸上部・野球部・
バレーボール部・テニス部・
吹奏楽部などがあります。
テスト1週間前になると
部活動はお休みというケースがほとんどです。
テスト
茨田中学校3年生第1回実力テスト6月26日
茨田中学校期末テスト7月13日・14日・15日
茨田中学校3年生第2回実力テスト8月31日
茨田中学校3年生統一テスト10月1日
茨田中学校中間テスト10月5日・6日
茨田中学校3年生第3回実力テスト10月5日
茨田中学校3年生期末テスト11月18日・19日
茨田中学校3年生第4回実力テスト11月20日
茨田中学校1・2年生期末テスト11月26日・27日
茨田中学校1・2年生チャレンジテスト1月13日
進学先
暁塾に通っていた
茨田中学校の卒業生の進学先は
四條畷高校、大阪桐蔭高校、東高校、旭高校、
常翔高校、芦間高校、汎愛高校、門真なみはや高校
緑風冠、大阪産業大学附属高校、太成高校などです。
城東区の関目や古市にも
塾をつくっていたことがあり、
些か鶴見区と城東区の
事情通だと自負していますが
ぶっちゃけで言うと、
緑中学校、蒲生中学校、鯰江中学校、
菫中学校、茨田北中学校、横堤中学校
など近隣中学校のなかで
茨田中学校の卒業生は
色々なタイプの生徒がいて
面白いです。
また進学実績では一、二を争う結果を
残せていると感じています。
ただし、それは
暁塾の指導によるものか、
そもそも生徒が
勉強熱心だったということは
御想像にお任せします。
現在、クラブなどによる振りかえ授業も
柔軟に対応させていただいております。
中学生の間に英検3級、
準2級を取得出来るような
指導スタイルを採っております。
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