黒板を使わない・先生からのメッセージ学校の先生のなかには、出社拒否というのでしょうか、学校を長期間休む先生がいたり、早期退職なさる先生がいらっしゃるということはよく知られています。その原因は学級崩壊にあって、御自分の指導力に自信を持てなくなった先生が陥りがちなようですが、時折そんな話題を見聞きすると、私は自分が中学生だった頃のある先生を思い出します。 50歳前後の女性の先生でしたが、授業中はいつも最初から最後までずっと生徒が大きな声で喋っていたり、時には最前列の生徒の席が教室の中央より後ろにあるなんてコトもありました。 そんな状態がずっと続いていましたが、ある日、提出したノートが返却され、なんとはなしにそのノートを開けてみると、そこには付箋が貼られていていたのです。そして次のような文字が並んでいました。「山本君のお蔭で授業を頑張れます」 私も多感な時期です。一瞬ラブレターかと思いましたが、そうではありませんでした。 続きを読んでみると、どうも生徒の誰もが話を聞いていないなか、どうやら私の授業態度が慰めとなっているようでした。私は先生の心の裡を知ってしまって、次の授業からなんだかきまりが悪いような気がしました。その後も生徒の誰かを指名して音読させたり、プリントに字を書かせたりするなど工夫されていましたが、先生の悪戦苦闘は続きました。 授業中に大きな声で喋る生徒は相変わらずいるし、とても静かになったとはいえなかったのです。 そんなことを繰り返していたある日の授業のことです。先生が御自分のノートを開いたかと思うや、それを見ながら猛然とたくさんの文字を黒板に書き始めたのです。 するとどうでしょうか。「ノートを定期テストのあとに提出しないといけない」 と知った生徒たちは、「成績を下げたくない」とみんな一斉にノートを開け始めたのです。そして、ノートにシャーペンで文字を書いている音だけが聞こえるようになったのです。 先生からラブレターをもらっていた私にしてみれば、どうしてそういったことを始めたのか先生の意図がわかったし、「ナルホドいい方法だな」と感じました。同時に、これは勉強が苦手な子にとっては勉強をしたということになるけれど、すでに先生がお話しになっている内容を、黒板を使って整理したものを書いているだけであって、生徒たちに新しい知識といった教師の本来の役割を果たしているかとなると疑問が残ったことも事実です。 しかし、だからでしょうか、なおさら生徒たちを静かにさせて授業を進めていこうという先生の意図を感じたのです。通っていた塾から得たこと 同じようなことが当時通っていた塾でもありました。ある科目の授業は毎回、黒板いっぱいに先生の文字で埋め尽くされていました。それでも黒板のスペースが足りず、一度消してから次に新しいポイントを書いておられました。 私たち生徒たちは同じ内容をノートに書き写すのですが、気がつけば、予定時間を過ぎて夜の22時30分になっていることもありました。 当時の私は、なんて捻くれた子供だったのでしょう。将棋でいえば、コレは「不必要な手を指しているようなものだ」と思っていました。 「問題集にポイントが載っているのだから、そのポイントだけ説明すればいいのに。ノートに写す時間はもったいないし、その代わりに塾ではもっと問題集を解く時間をつくればいいのに」 と不満に思っていたのです。 なにしろこちらは家と塾往復で1時間かかるのです。誰かがまとめたものをただ書き写すだけではコピーで間に合います。人がまとめたものを書き写すことは将棋でいえば、定跡の本を見て駒を動かしているようなもので、暗記が必要な時もありますが、どうしてその手を指すのか、そのあとは自分ならどう指すのか考えるという点がスッポリ抜け落ちているのです。 いわば既定路線である定跡から駒を一つ動かせば未知の世界が広がります。 何十手もの候補のなかから最善手と思って、互いに指し続けて思いもよらなかった展開になっていることもありますが、知らない時にどうするかが勝負の分かれ目で、上手く対処出来たほうが強いのです。 暁塾では将棋も教えているのですが、生徒たちには宿題として、毎回定跡を覚えてきてもらっています。本には、『これで先手優勢』や『互角』などと書かれていますが、その局面から生徒と指してみると定跡までの丸暗記だったのか、そこからの指し手も考えていたのかがわかります。 将棋の強い人は定跡から少し横道に逸れても正しい道に戻ることが出来ますが、自分で対応するには、そのわからない局面で考える必要があるのです。演習問題からポイントを掴む(将棋ならば、実戦から指し回しを学ぶことと同じ) 集団授業の学習塾の多くでは、先生のお話を聞いた後、黒板の文字を書き写したり、ノートやプリントにポイントを書きます。そのあと例題を2、3問書き写して、演習問題も数問解く程度で、演習問題の大半は宿題として出されます。 しかし、暁塾は、板書の時間はありません。 書き写すことに10分、20分を費やすよりも教科書や問題集のポイントを見れば、おおよそのことはわかります。そのため暁塾では問題集に載っているポイントを伝えた後、講師がさらに1つ、2つ気をつける点を伝えると、すぐに例題を確認して練習問題を解いてもらいます。 どのような教科書や問題集であっても、優れた方々が関わって出版されているのですから、それを有難く利用させてもらうのです。基本的に数学以外はノートを使いません。講師の話によって生徒さんのやる気を引きだす方法もあるでしょうが、問題を一つでも二つでも解けるようになれば、成績は上がりますし、勉強に前向きになれると思うからです。 文字を写すことに時間を費やすのではなく、テストの点数を上げるには暗記や演習に時間をかけるほうが、点数を上げるには良いのです。 私自身が塾に通っていた時には、つらつらとそんなことを考えていたのですから、なかなか憎たらしい子どもだったに違いありません。 しかし、そういったこともあり、暁塾には黒板がありません。決して黒板を買うお金をケチっているワケではありません。 学校や学習塾などで先生の仰ったことや黒板の文字を一字一句もらさじとノートに書くような生徒さんはたくさんいることだと思います。 しかし、暁塾では多くの学習塾が宿題とするような部分を指導時間中に済ませてしまうのです。そしてさらに宿題を出すのですから、学校の同級生たちよりも数倍勉強していることになるのです。 暁塾のやり方は自然と自分で勉強出来るような勉強の仕方を身につけられるよう、生徒さんの背中をそっと押してあげることにあります。 多くの将棋教室では先生が一から十まで全てを教えてくれるということはありません。それは最善手がわかったとしても、一手進めば、全く局面が変わってしまうために、その場の瞬間的な答えよりも、根本的な考え方に焦点を当てるような指導法を採っておられるからです。 勉強のやり方が身につけば、どんな環境においても自分の力で勉強出来るようになります。そして、暁塾を巣立って社会人になってからわからないことが出くわした時でも、彼ら、彼女たちなりの解決法を見出すことが出来るようになると考えています。わからないことがわかる~暁塾は伴走者~ 暁塾を始めてスグに気がついたことがあります。「先生、この問題わかりません」 「調べてみた?」 「はい、載っていませんでした」「考えてみた?」「考えたけれど全然わかりません」「今開いているページのココに書いてあるよ」「アッ、本当だ」 点数がよくならないのは先生に頼りすぎることもあるのではないでしょうか。将棋でいうと、助言を第三者に求めるのです。瞬間的に「わからない」と口に出してしまうのです。答えを私から聞いて写すだけならば、最初から答えを写してこと足ります。 ほかにも入塾したばかりの暁塾生のなかには、このように、私から答えを聞いて問題集に書き込めば、そのページの勉強は終わったと考えている生徒もいます。「次、何をすればいいですか?」と聞かれれば、私は同じ問題を解くように伝えます。「いま済んだばかりなのに」といった反応が返ってくることは多いです。 しかし、答えを隠してもう一度やってもらうと、まだ理解が不十分ということに気づくのです。すると、次からは「まだ暗記出来ていないので復習します」と自分から言ってくれるようになります。そうなるとしめたものです。目の前の問題に取り組んだ方が実際的だということを知ったとき、その生徒さんの点数は大幅に上がるのです。 すぐに答えを欲しがる生徒は、調べたり考えたりすることをアウトソーシングしてしまっているのです。会社がアウトソーシングに偏っているとその会社に技術が残らないように、人に頼ってばかりいては勉強の仕方が身につきません。 もし、ページなどをめくって調べることが難しいようなら、その時は答えを写してから、すぐに問いと答えを暗記してしまったほうがよいでしょう。そして自分の成績が芳しくない状態の子どもたちのもう一つ特徴的な点は、自分の実力で出来ない問題に挑戦している場合があることです。全ての問題を全力で解こうとするのです。 それに対して、成績の良い生徒やこれから成績が上がるような生徒は、わからない問題に出くわした場合「この問題はどこを調べればいいのかな?」と、問題集の前後のページをめくって、公式を調べたり、同じような問題がないか探します。 いまの自分の実力ならば、どの問題が解けるのか見抜くことが出来ているのです。さらに解けない場合には、どういった部分が自分に足りていないのか、どうすれば解けるようになるのか、いや、ひょっとして自分自身の出来が悪いのではなく、問題そのものが、難しすぎるのではないか、そういった細かな部分にまで、気づいています。これは、将棋を指していると「どうしても今の局面の最善手がわからない、けれども、次の一手を指さないワケにはいかない」といった暗中模索の場合にもあてはまります。 自分が複数の手のなかからどれが良いのか迷っているのは、終盤力が足りないのか、それとも時間があればわかるけれども、持ち時間が限られているから焦ってわからないのか、そもそもこの局面なんて、とても強い人でもわからないくらい難しい局面なのではないか、ということがなんとなくわかることと同じです。 相手にもわかっていないのであれば、お互いに手探りの状態なので、そこでポイントを稼ぐことが出来ないのならば、他の部分でその点を補えばいいのです。 ただし、いまどの位置にあるのか自分ではわかりにくいものです。 そのため、どの問題をどういった順番でどういったやり方で取り組んだらいいのか、生徒に飲み物を渡したり、一緒に横で走って声をかけるような伴走役が暁塾といったところです。 問題を解く前にポイントをかいつまんで、生徒に伝えておくことで、問題を解いている最中に要点が頭に浮かんできます。 問題集にも同じようなことが言えます。新しい内容の問題を解くと、とても難しく感じますし、実際にとても時間がかかります。しかし解けば解くほど一定のパターンが見えてきます。成績の上がる時間の使い方消しゴムは赤ペンに! ノートへのお化粧はストップ! 暁塾ではよく生徒のみんなに『成績の上がる時間の使い方』の話をします。 例えば、間違えた時の直し方ひとつとっても、消しゴムを使って書いた内容を消すことはオススメしていません。自分の努力の痕跡がなくなると、どこまで正しかったのかであったり、どんな考え方をしていたのか、復習する時に、そのページを見返してもわからず、思考のプロセスを辿る時に不便だからです。 そこで、消しゴムを持つ手を赤のボールペンに持ち替えて、余白に正しい計算や解答を書き込むように指導しています。 テスト前に、一度解いた問題をすべて解き直すことは時間的にも厳しい人が多いでしょう。赤で直しておけば、どこを間違えたのか一目瞭然です。同じパターンの問題で同じような間違いをしているといった自分の誤った解き方の癖も、次第に自分で見抜けるようになるでしょう。 また、勉強の苦手な女子生徒に見られがちな傾向が一つあります。それは派手なことです。服装のことではありません。学校のノートを開けば、赤、青、黄、緑、紫、橙などたくさんの種類の色が目に飛び込んでくるのです。 ペンのキャップを開け閉め、どの色を使おうかと考えたりといった一連の動作は、たとえ一瞬であっても、積もり積もれば学生生活で費やしている時間は相当なものになります。 一見、勉強しているように見えますが、ノートにお化粧しているだけで、本来の知らないことを知るという勉強の目的から逸脱しているのではないでしょうか? 解決策というのは、遠くに求めがちですが、目の前に落ちていることは多いです。大局観全体を把握する力を大局観と呼びます。いまの局面が優勢なのか不利なのか、自分で把握することです。それが正確であればあるほど、方針や対策も適切で効果的なものとなります。 一手ずつシーソーのように優劣が変わることもあるので、全体を見通す方針を考えることが大切だといっても、そのための知識がない場合もあります。 学校の問題で3分考えても全然手が動かない場合、10分経ってもそのまま変わらないことが多いです。そういった時には教える側が声をかけてあげる必要があります。諦めが肝心というのでしょうか、私自身がそうやっていたのですから、それをそのまま伝えています。 学校の宿題をみると、ほとんどの生徒が解けないような問題が結構あります。勉強がよく出来る子はそれでもいいけれど、そうではない真面目な生徒は家でウンウン唸って考えています。 そして結局はわからず、空白になってしまう子もいます。それでは学校の先生が御覧になっても、この子は課題に取り組まなかったのではないか、と誤解されてしまいます。子供は塾にその学校の宿題を持って来ますが、もう少し量と質を考えて出してもらったほうが良いのではと考えてしまいます。問題集でも基本問題、標準問題、応用問題があった場合、直近のテスト範囲になるであろう各単元の基本問題だけをザーッと解いてもらいます。そして一通りその単元の内容を頭に入れてもらいます。そうすると、どのような言葉が出てきて、何を覚える必要があるのかわかります。 次に標準問題を解いてもらいます。この段階で、基本問題でも出てきたキーワードがまた出てくることに気づきます。そうなるとシメタもので、その言葉は重要語句で優先順位が高いということがわかります。ココまでするだけで平均点は確保できます。最後に応用問題を解きます。結果として同じ単元の内容を3回転していることになります。1ページ目から2ページ、3ページと解いていくよりも、全体を把握してからあとは細かくみていくのがポイントです。テストの問題を保管して過去問を解こう学校の成績がどのような状況にあるかは、生徒の勉強している様子を見ればわかりますが、他にも方法があります。最初の面談の時に、「テストの問題を保管している?」と子どもに訊ねてみるのです。 そうすると不思議なことに、一定の学力にある生徒は大抵テストの問題や答案用紙をファイルに一年分などといったように分けて保管しています。きちんと保管しているといっても生徒本人ではなく、実際のところ保護者が手伝っていることも多いです。暁塾の生徒には学校のテストを保管するように伝えています。高校生は自分で科目ごとに問題と答案用紙をファイルに整理していますが、中学生はお母さん方がなさっていることも多いようです。記念に取っておくというわけではありません。 テストの問題はたいてい良問揃いで、解けば解くほど力がつくからです。 しかし、解いただけではあまり効果は見込めません。 テストの答案が返却された直後に、先生が時間をとってくださるならば授業中に、そうでなければ、家に帰ってから復習をすることが大切です。 その復習には、テストを解いた時と同じくらいの時間をかけましょう。 暗記していなかったから出来ていないだけなのか、内容を取り違えていたのか、失敗の研究をすれば、勉強に足りていない部分がみえてきます。 正解だった問題であっても、関連事項を確認してまとめて暗記してしまうのです。 そうすると、知識に広がりと奥行きが出て記憶の定着につながります。 暁塾では、定期テスト前には、学校で実際に行われた過去問を、受験生の場合なら赤本を解いてもらうといったように、色々な問題に挑戦してもらうのですが、それはテストというのは、どこの学校であっても毎年同じような内容が中心に出題されていることを知ってもらうためです。 教科書は、文部科学省からお達しのある指導要領が元になっているのですから、どの受験生にとってもポイントは変わりません。 そのポイントがわかれば、しめたものです。 更にダメ押しとして、過去問はテストの内容を忘れた頃にもう一度解き直しましょう。 将棋では、棋譜並べや感想戦から一局を振り返り、自分の指し手に磨きをかけるというのが、過去問の解き直しにあてはまるといえます。受験シーズンになると新しい問題集を解こうと本屋さんに駆け込んだり、インターネットからポチっとクリックする人も多いですが、それよりもなによりも中学生や高校生はそれぞれ3年分のテストの解き直し、特に間違えた部分を中心に復習すれば、お金だけでなく時間の節約にもなります。あなた一筋 一度、店に足を運んでくれたお客さんがリピーターになってくれるかが、商売が繁盛するかしないかの分かれ道ですが、学習塾では学校の卒業式や新学年を控える3月から5月は生徒の入れ替わりの時期にあたります。 塾を始めるまでは気づかなかったことですが、この入れ替わりが結構激しいのです。私のところのような個人塾でさえそうなのだから、大手の塾だとかなりの人数が動いていることが想像されます。仕方のないことですが、他の塾へ移ってしまう子がいると、力が及ばなかったのだな、とその日は少しセンチメンタルな気分になります。 しかし、毎年のことなのですが、新しい顔ぶれのなかには塾を転々としている子が少なからずいます。 3つ目とか、なかには5つ目とかいう子がいるのです。 多分、塾の先生が嫌いだとか授業の進め方が気にいらないとかあるんだろうと思います。 これは大人の世界でいうと、理由もなく何度も転職するようなものでしょうか。 私も経験がありますが、気分をリフレッシュするにはいいかもしれませんが、新しい職場のやり方に慣れるには一定期間が必要なように、勉強も肝心の成績を上げるにはある程度の時間がかかります。 とはいっても、塾を替えるのは生徒本人というより、最終的には親御さんの意向です。何年も塾にいるのに、成績がそれほど上がらない場合は、それも一つの方法として理解出来ます。 けれども、なかには、成績が上がったり、地力がついてきているにも関わらず、他の塾へ移ってしまう場合もあります。教える側の私にしてみれば、首を捻りたくもなりますが、ホントは親御さんのニーズを汲み取れていないのでしょう。またまたおセンチな気分になります。 でも、こうも思うのです。 あまり、あっちこっち塾を替えると、それぞれの長所も短所も見えてきて結局どこの塾が自分に合っているのかワケがわからなくなる。 観察していると、塾を転々とするより「あなた一筋」で同じ塾に通っている子のほうが全体的に成績が良いように思えますが、成績が良いから同じ塾に通っているといえるのかもしれませんね。1つの科目に特化する 昔、剣道を習っていたのですが、その道場の先生から聞いたエピソードに次のようなものがありました。 ある道場は小手や胴といった技を教えずに、剣道の基本である『面』ばかり教えていたそうです。 その道場の生徒たちは試合に出場しても、『面』しか打たないものですから、相手は最初から『面』を警戒して防御しています。 ところが、それでも『面』ばかり打ってくるので、ずっと竹刀で守っているうちに相手は疲れてきます。次第にそのガードが甘くなり、最後はきれいな1本が決まったそうです。 まだ一つのこともマスターしていないうちに、アレコレと変えてみることは『広く浅く』になってしまいます。 私自身、将棋は初段くらいになるまでは特定の戦法ばかり指していました。数あるなかで、たった2つだけだったのです。 得意戦法と言えば聞こえはいいのですが、負けるのが嫌なこともあって、よく知らない戦法は避けて、知っている範囲内で戦っていたのです。 そうすると、プロの棋譜を並べる時でも、その戦法を指している先生の将棋ばかり研究するし、その戦法に関しては、自分より強い人よりも多少は詳しくなるのです。 自分が使っていた戦法に関しては、相手より詳しいこともあって、同じくらいの棋力同士ならば、案外すんなりと有利に進められたのです。 本当はその戦法は相手が使うことが出来る場面が限られていたのですが、そんなことにはお構いなしに、いつも同じ戦法ばかりでした。 反対に言えば、それだけで初段になることが出来たのです。 つまり、一つの戦法には将棋を指すためのポイントが詰まっているので、さまざまな状況に応じる力がつくのです。 プロ棋士のなかには、居飛車でも振り飛車でも指しこなすオールラウンドプレイヤーの先生もいらっしゃいますが、よくよく観察してみると、最初のうちはどれか一つの得意戦法を軸として、徐々にその得意戦法の幅が広がっていったということが分かります。 学校の勉強も同じで、テストの点数が悪い時は一科目だけ悪いということは少ないです。そんな時に最初から五科目すべてを勉強しようとすると、時間もエネルギーも分散して効率が悪くなります。一生懸命勉強したのに、結局のところポイントさえ掴めないということになるのです。 先程の例のように、国語、数学、英語、理科、社会であってもポイントは同じ、成績の上げ方は同じハズです。 だから、暁塾では苦手科目が多い生徒はまずは一つの科目、多くて二科目に特化してもらいます。 一つの科目で点数が20点、30点上がったならば勉強の仕方、ポイントがわかってきたということで、他の科目も同じように勉強すれば同じような結果になります。 そうなると、人間は不思議な生き物で、最初は勉強嫌いの生徒であっても、『ちょっとくらい勉強してもいいかな』といったように心持ちも変わってくるのです。 一つのことに集中攻撃すれば成果が出るのは、どういったことにでも通用するのではないでしょうか。 多くのことをたくさん知ろうとするよりも、少ないなかからたくさんのことを知ることがポイントです。早起きは10点のトク暁塾では開校以来、定期テストの朝の勉強会を行っています。 自由参加ですが、朝の7時から8時まで好きな時間に暁塾で勉強して、それから学校に行ってもらっています。 夜に考えることと、朝に考えることは同じ内容であっても、夜は感情的になったり、感傷的になりがちです。朝は論理的にモノを考えるのにピッタリなので、勉強は朝の方が捗るのです。 朝の勉強会を始めたきっかけは、私自身の経験からです。 中学生時代、私はテストがある時は、いつもより早目に学校に行っていたのです。普段は時間ギリギリに学校に行っていましたが、テスト当日だけは、いつもより1時間ほど早く家を出ていたので、朝の7時30分に校長先生と一緒に校門に入るといったこともありました。 どうしてテストの時にそんなに張り切っていたかといえば、ワケがあります。中学生といえば多感な時期です。 周囲を見渡してみると、運動ができる子、イケメンな子、運動も勉強もできる子、友達の多い子と、自分にはないものを持っていることに気づいた私は、せめて学校のテストでは良い点を取りたかったのです。 兎も角、学校で一番乗りです。 誰もいない教室でノートを開くと、とても頭が整理できます。8時頃になると、ポツリポツリと人がやって来て、8時15分ぐらいになるとみんなテスト前だから必死のパッチでやっていますが、その時にはもう準備ができています。 この朝の勉強をする時のポイントは、解いたことのない問題を解こうとするのではなく、あくまでも復習に重きを置くことでした。 もし、朝から難しい問題を解こうとして、全然分からなければ、焦ってしまいます。 心を鎮め、テストに落ち着いて臨めるよう、いつもより朝早く家を出て教室の席に着いて、普段通りの力が出せる環境を整えていたということです。 この朝の勉強会は好評で、暁塾が始まってからずっと続けているので12年以上になりますが、誰も来なかったということはありません。 暗記したものに念を押すといった風に時間を使えると言ってくれる生徒もおり、朝の勉強会は好評です。 8時頃になると、家から持ってきたおにぎりをパクリと食べてから、登校する子であったり、道行く人たちの視線を浴びながら暁塾の駐輪場で、ラジオ体操を始めたり、歯磨きを始める生徒たちもいましたが、頭のコンディションを整えるだけで、持てる能力を最大限発揮しやすくなります。 朝イチバンは頭がスッキリした状態で気が引き締まります。 『早起きは10点のトク』と言えば、言い過ぎになるでしょうか?愛情配分はムズカしい この仕事をしていると「ウチの子には特別目をかけてやってください」と生徒の親御さんに言われることがあります。その言葉から、親の子に対する愛情の深さを知るのですが、だからといって依怙贔屓するわけにはいきません。 親が子どもに勉強を教えると最後はケンカになってしまうと耳にすることもありますが、私も生徒も他人同士で、お互いよそ行きの顔だからこそ冷静に教えたり、教えられるのかもしれません。 一般的に無償の愛は親子や夫婦に存在するのであって、それ以外は大抵お金がかかるものといったら叱られるでしょうか。ところで、自分がそういった立場に置かれて気がついたことですが、先生は生徒への愛情配分が難しい立場にあります。 それぞれの生徒に合った教え方をしようとすると傍目には違う教え方=生徒によって力の入れ方が違う=依怙贔屓していると捉えられかねません。 でも一人ひとり理解力も違うし、性格も違います。 活発なA君とB君には軽口を叩きながら教えても大人しいC君にも同じようにはいきません。 勿論、積極的に勉強しようという姿勢がみられる子には当然こちらもたくさん教えようとハリキリますが、あちこちキョロキョロしている場合は勉強する気になってもらうところからスタ-トするので、少しばかり骨が折れることもあります。例えば、顔は真っ黒で見るからに逞しそうな中学生の男の子がその日は風邪をひいていました。「大丈夫?」と聞いても反応は鈍いまま。もう一度水を向けてみると「お医者さんから勉強することを止められてるねん」「エッ?」と聞き返すと今度は「出来るだけ読書をするように言われている」とカバンから漫画を取り出しました。 流石にそこまでやられると笑ってしまいますが、先生稼業の泣き笑いがそんなところにあります。親の期待と子の戸惑いいろいろな生徒をみていて、勉強出来るのも良し悪しだなと思うことがあります。 例えば、小学生や中学生の頃からの詰め込みで、それで志望校に合格すれば、それはそれでいいですが、往々にしてその反動があるからです。 それまでの勉強で燃え尽きてしまって、そのあとは暫くボ-ッとして過ごしてしまう子どもであったり、親から「勉強、勉強」で追いまくられて不登校生になる子どもも見聞きします。 勿論、不登校生にも性格的に単に大人しい子もいます。 しかし、年齢を重ねると誰もがそうであるように、一種の厚かましさ?が備わってきますので、親御さんがさほど心配することもないのではと考えています。 過剰な期待は子どもを戸惑わせることになる、と醒めた見方をしていますが、理屈はそうだけど、実際にはなかなかそううまくいきませんよね。塾はイメ-ジ産業 ブランドものがお好きですか? 「オレ、有名な〇〇塾に通ってんねん。エッヘン」 「ワタシは塾でもうココまで習っているねん。エッヘン」 私が小学生の時にはこういう子がいました。 ところが、その生徒の成績のこととなると誰も知らないのです。 そういったこともあり、暁塾では、生徒の理解力に合わせず闇雲に先に内容を教えて 「俺、ここ知っているねんで。ヘヘヘ」という生徒がいるような塾にはしたくはありませんでした。 しかし、悪名は無名に勝ると言われるくらいですから、強がりを言ってみたところで無名はソンです。 考えてみれば私の塾は、しょっちゅうテストをして、クラスの振り分けがなされているような大手の塾ではありません。 たくさん塾があるなかで、個人でやっているところに生徒が来るということを考えると、暁塾にはそういった意味の厳しさは求めていないのかもしれません。 一般的には大手の塾は勉強の得意な子が集まってガリガリ勉強するところ、個人の塾は一人ひとりの勉強をよく見てくれるといった風に思われているのでしょうね。 実際にすべての塾を体験した人はいないのですから、本当のところはわかりません。 ママ友や子供たちの友人関係などの口コミからそれぞれの塾の評判は出来上がるといえます。 そうすると、塾はイメ-ジ産業の一つといえるのかもしれません。マンツーマンも時によりけり プロ棋士がアマチュア相手に3人、5人、場合によっては何十人を相手に一度に将棋を指す場合があります。 これは多面指しと呼ばれるのですが、プロが本気になるとあちらでもこちらでも 「負けました」とアマチュアの方の投了する声が聞かれます。 時代劇で言うならば、ヒーローが出てきてバッタバッタと相手をなぎ倒すような光景が繰り広げられるのです。 当然ですが、その時にアマチュアの方の行儀が悪くなるということはありません。次の一手を考慮中の他の方の邪魔にならぬよう皆さん静かに対局に臨んでおられます。 学校では、クラスの生徒の人数が多いと先生の目が行き届かないので、なるべく人数の少ないほうがいいとよく言われています。 私も家庭教師をしていた頃にはそう思っていたのですが、この多面指しの例をみても実際のところはそうともいえないようです。 私自身振り返ってみても、塾を開いてまだそれほど日の経っていない頃は、生徒はほとんどいないので、マンツーマンや1対2(私と生徒二人)で教えていました。たくさん教えられる分、私は簡単に点数が上がるように思っていました。 実際に一けたや10点台の点数の子供を平均点くらいにすることはさほど難しいことはなく、いい結果を残せたことのほうが多かったです。 けれども皆がそうだったわけではありません。 成績の上がらない子の原因の一つには、私の目の前で船を漕ぎ始める場合がチラホラあったからです。 勉強の苦手な子に限ってそういうケースが多く、不思議に思って本人たちに尋ねてみると返ってくる答えは同じでした。 夜更かしして、午前0時以降の2時とか3時とか当たり前で、朝日が昇る時間に寝て学校に通っている子もいたのです。これは中学生だけでなく小学生にもありました。 また、運動クラブで汗を流している中学生だと疲れきって塾に来ているので、夢見る時間を過ごすことも多かったです。 5分でも10分でも仮眠をとってから塾に来るのがいいと思いますが、晩ご飯を食べたりしていると、時間がないのでしょう。 けれども、これまた不思議なことに色々な学年の生徒と机を並べて勉強していると寝ることがないのです。 友達や年下にはカッコの悪いところを見せられないといったところでしょうか。学校の先輩や年上のお兄さんがいると、普段は少し落ち着きがなくとも緊張して勉強する子供もいます。 また、先生と生徒の一対一の完全個別対応だと家庭教師と同じで、トップ校を目指す生徒以外は最終的には生徒には競争心が芽生えることも少なく自分のペースで勉強をするようになってしまいます。 団塊の世代の場合、一学年20クラス位で一クラスが50人とか60人いたと聞いたことがあります。 そのことを考えると、ひとり一人の理解に応じて教えることは必要だし、マンツーマンは不登校の子供に対しては有効な方法だけれど、周囲との刺激や競争がないので、成績を上げる方法としては一概にいいとはいえないと感じています。 自分で課題を発見できるのはなかなか難しいことですが、結局のところ、本人次第でいま何に力を注ぐべきなのかわかっているかによるのでしょう。同じ価値観の人が集まれば空気は自然と変わる 暁塾はなぜ、同じ教室で同じ時間帯に色々な年齢差の生徒が勉強しているのか、不思議に思う人もいるかもしれません。 それは学年が一つでも上だと年下にカッコの悪いところを見せたくないという気持ちがあり、反対に年下だと年上に憧れる時期でもあるので、教室全体には緊張感が生まれるのです。 つまり、同学年の同じレベルの生徒だけの時より勉強が進むのです。 しかし、単純に人を混ぜればいいというわけでもありません。 その条件としては、同じような価値観をもつ生徒の保護者の方々に「ウチの子の将来を暁塾なら任せてもいいかな」と思ってもらえるようにするということです。 家庭教師時代に「教えてばかりだと生徒の成績にはつながらない」ということを実感した私でしたが、暁塾を開校してからも、似たような場面に出くわしたこともありました。 いつも最前列に座る生徒が、「センセー、コノ部分がわかりません」と言いました。その生徒は簡潔な答え方を好まない傾向にあったため、私は時間をかけて説明をしました。 知識が積み重なっていない場合、理解することは難しい英文法の部分でした。 説明を終えた後、問題を解くように伝えると、間髪を入れず「わかりません」と少し尖った声が返ってきたのです。 内心驚きましたが、私はいま説明したときに書いたメモや問題集の例文を見て、ちょっと考えてみるように伝えました。 すると、その言葉を聞くや否や生徒は私の顔を睨みつけ、「どうして教えてくれないんですか」と叫んだのです。 あとで親御さんと電話でお話ししました。 電話越しに詰問するような調子の声を聞きながら、事情がわからずに仰っているのだからいたしかたない面もあるけれど、勉強の進め方、つまり勉強が出来るようになるにはどうすればいいのか、その考え方が私とは違うと感じたのです。 というのも、教えられている時間は長ければ長い方が良く、わからない部分というのは説明されればスグに理解出来るものだと、考えておられたのです。「センセーの教え方が悪いと家で言っている」と本人から聞いていたので筒抜けだったのですが、どうしてこんな風になったのか反省しました。 教育というカテゴリーは誰もが通る道で、皆さん意見をお持ちです。 どの親御さんも我が子には勉強出来るようになって欲しいと思っていらっしゃるでしょうし、私も少しでも成績が上がるように、受験がうまくいくように生徒のそれぞれの性格や体調やその時点での成績を加味しながら教えている積りなのですが、それでもこのような結果になることもあるのです。 どちらが正解ということもなく、流派が違うのでしょう。そもそも、最初から勉強に対する考え方にズレがあって、次第に割れ目が大きくなったのだという考えに至りました。 そういったこともあり、暁塾の勉強法、考え方を入塾前にホームページや面談からお伝えしておく必要性を感じたのです。 同じような価値観の保護者の方々であれば、子どもも同じような価値観を持っていることになります。 そうすると、勉強に対する姿勢もおのずと似通ったものになります。 そこには年齢差は関係ないのです。視点を変える 「教えることは教えられること」と言いますが、普段と違った視点を持つと、アイディアが生まれ、心理的にも余裕が出てきます。 学校や会社に行くこと一つとってみても、いつもと同じ時間にいつもと同じ電車に乗って、隣にいつもと同じヒトが座っていると、次第に新鮮さが失われ、考えが硬直化します。自転車で駅まで行っているのなら、歩いてみたり、違う道を通ってみたり、5分早く家を出るのだっていいでしょう。 同じ情報しか与えられなければ、それが常識となり、たどり着く結論は同じものとなり、他の考えを知るきっかけを得ることはありません。 将棋は対局相手との棋力に差があると、『駒落ち』といって戦力に差をつけるハンデ戦を行います。 そのため、対局によって、駒を落とす側(上手)になったり、反対に駒を落としてもらう(下手)になったりと立場が変わります。 会社でいうと、昨日は周りがみんな上司であったのが、今日はみんなが部下のようなものです。部下の目で見ると、働いていないように見えていた上司が、色々な部署の利害関係までも含め、全体を考えて判断を下していたと気づくかもしれません。 反対に、部下になったら、これまで自身が思いやりのない上司だったと、部下の気持ちがわかることも出てくるかもしれません。このようにさまざまな立場を経験するとこれまで気づいていなかった角度からモノを見る目が養われます。 つまり、上位者(上手)になると、下手の働きの悪い駒や、性急な攻めであったり、手薄になりがちな自玉の守りや反対に過度な玉のガードといった指し方から、普段の自分自身の指し手を省みるヒントになります。 また下位者(下手)になった時は、上手から自分の読みを上回る一手が指されます。お相撲さんでいうと、見えないところから張り手が飛んでくるようなものでしょうか。 感想戦はたいてい上手がリードすることになりますが、そこでも下手の時は、上手の言葉から「ココではこう指したほうが良かったのか」などといったように学べます。上手になれば、下手にどの一手が良い手だったのか、悪かったのか教えるといったように、同じ局面であっても反対の立場になることによって見えてくることが多いのです。 ではどうすれば、学校の勉強に活かせるのかというと、先生の立場になってみることです。テスト対策ならぬ先生対策もし、テストの点数が同じ生徒が2人いて、1人を10点、もう1人に9点をつけるならば、先生はどういった生徒に10点をつけるか考えてみましょう。あなたが10点をつけてもらうための第一条件としては普段から先生方に好印象を与えておくことです。授業態度が良いことは当たり前ですが、裏技は、ワークブックやノートの余白に、漢字や単語や重要語句や問題の解き直しを何度も書いておくことです。ノートに黒板の文字を写したり、ワークブックの問題を解いているだけではフツーです。もし同じ課題が出ても、提出した時に先生を「オッ」と思わせなければ、フツーの点数しかつかないのです。ページが文字で埋まっていたら、先生は「この子は一生懸命勉強しているな」と感じるでしょう。 先にも述べたように、消しゴムを使うことは努力の跡が残らず復習しづらくなるし、その時間は勉強しているとは言えないので、なるべく控えましょう。 先生にゴマをするワケではなくさりげなくアピールするのです。私が中学生の時にしていたことで、簡単に実行出来ることなので、試してみてください。 暁塾でもしている人はごく一部ですがそれだけでみんなと差をつけることが出来ます。先生のお話が脱線していると感じたら 「学校の先生が、授業中に勉強と関係のないお話しをしている」と、生徒から不満の声を聞くことがあります。 しかし、それにはふかーいワケがあります。どの学校にも、勉強が得意な生徒から苦手な生徒までさまざまな成績の子がいます。 学校の先生は皆に話を聞いてもらうために、色々な学力の生徒に合わせて話をする必要があります。普段は標準的な成績の生徒に合わせて授業を進めていくというのが一般的だと思いますが、そうすると、勉強がとても得意な子からしてみると、内容に物足りなさを感じるし、成績の悪い子にしてみると、「先生の言っていることはなんだか難しくて、よくわからない」という風に受け取ってしまうのです。ましてや、学校よりも先に塾で習っていた場合、真剣さが失われることはある程度仕方ないようにさえ思え、学校の先生に同情したくなります。 つまり、同じ時間に同じ空間を共にしているにも関わらず、提供されているモノと欲しいモノにズレが生じているのです。 ハンバーガーショップに行って、牛丼が出てきたり、お寿司屋さんに行ったのに、トンカツが出てくるようなものなのです。 そうなると、「この店にはもう二度と来るものか」といったように、生徒の心が教師から離れてしまいます。 学校の授業や集団授業の学習塾では、そういったことが毎日繰り返されているのです。 先生にしてみると、受験や学校行事など共通の話題を提供すれば、みんなが話を聞いてくれるという効果が見込めます。では、そういった話題はおもしろくてもテストや受験には関係ありません。さて、いったいどうすれば良いでしょうか?成績によって勉強の仕方を変えましょう 将棋には実戦を指したり、定跡を覚えたり、詰将棋を解いてみる、といった方法に代表される勉強法があります。しかし、まだ将棋のルールを覚えたての人が、詰将棋を解くことは出来ません。強くなるには実戦を指したり、定跡を覚えるほうが先決です。 それと同じように、成績によって勉強の仕方を変える必要があります。もし、勉強が苦手で、成績がクラスのなかでも後ろから数えたほうが早い場合は、どうすればよいでしょうか。先生のお話をずっと聞いていてもチンプンカンプンで、何を仰っているのかわからないことも多いでしょう。 残念ながら、授業のレベルがいまの学習レベルには合っていないのです。そのまま、椅子に座って、一生懸命に聞いているだけならば、きっとテストの点数が上がらないでしょう。 つまり、同じ時間に同じ空間にいてもみんなと同じことをする必要はありません。大切なことは、自分が一番効果的に勉強できるように、その時点で自分に不足している内容に合った勉強をするようギアチェンジをすることです。 国語ならまだ覚えていない漢字をノートの余白に練習してもいいですし、指文字を書くのもいいでしょう。 そうしているうちに、課題の提出日やテスト範囲のお話しをなさることもあるでしょう。 先生のお話に耳を傾けながら、教科書やノートに目をやって、手は動かして、口は誰にも聞こえないくらい小さな声でブツブツ言い、どこからともなく匂ってくるカレーのニオイとともに単語を覚える、といったように五感を総動員して暗記するのです。 同じ道を辿るにしても、車にガソリンを入れるか、はたまた電気で充電するのかは車の種類によって変わってきます。 知識という栄養を摂りいれるのも、人によってそれぞれ最適な方法があるはずですから色々と試して、自分自身にあった方法を見つけ出しましょう。 君、友と勉強することなかれ テスト前に友達同士が問題を出し合っているケースはよく聞く話です。 学校からの帰り道だとか教科書やノートを開けられない環境ならばそれもいいでしょう。 しかし、これは本来とても非効率な勉強の仕方です。 だから、休憩時間などにそういったことをしようとする生徒を見かけると、私は注意します。 なぜなら、「江戸幕府を開いた人は誰?」と問題を出された時を考えてみましょう。 ある人が「織田信長」と答えると「ブブー。違う」と返事が返ってきます。 そして気を取り直して、「徳川家康?」と言うと「正解」「ヤッター」と喜んだあなたに「すごいね」と友達も言ってくれる。 とまあ、こんなことをやっているうちにどんどん時間が経ってしまうからです。このやり取りだけで、1分、2分はすぐに経ってしまうでしょう。それよりも自分で問題を読んで答えを確認すれば数秒で事足ります。 また、休日に図書館で勉強する人もいるでしょう。 勉強することはとてもいいですが、それも時によりけりです。例えば、友達同士で勉強する場合に二人の学力差がほぼ同じである必要があります。 なぜかと言うと、勉強が苦手な人がいた場合、どうしても勉強が得意な人に分からない問題を聞くことがあるからです。 勉強の分からない人が、問題を解けないのには理由があります。 実は一番多いケースは、その問題を解くための基本的な知識が欠落している場合です。 つまり、例えば中学3年生であっても小学生や中学1年生2年生の時に習ったはずの内容が身についていない場合が結構あるのです。それを短時間で解きほぐして正確に伝えることはかなり難しいです。 そうなると、勉強が得意な子にとっては、本来であれば自分自身の学校や受験に必要な勉強に使える時間を、使えないことになります。 折角、図書館に勉強しに行ったとしても、勉強できる時間は限られてしまいます。 だから勉強する場合に限っていうと、学力差が同じような友達と、一緒に勉強する方が切磋琢磨できるということです。 しかし、自分より明らかに勉強できる友達であればあなた自身がトクをします。なぜなら質問して友達に教えてもらう側になればいいのですから。1コマを90分にしているワケ 暁塾の指導には、知らず知らずのうちに私の将棋一色だった中学時代の実体験によるものが含まれています。 どうして1コマ90分にしているかといえば、当時、私は研修会という将棋好きの少年少女が集まる場に通っていましたが、そこの一局の持ち時間が45分だったのです。 私と相手で45分ずつなので、熱戦になると1時間30分くらいかかります。 将棋が好きでない人にとっては将棋は動きもないので「いったい何をしているんだろう?」といった感じですが、対局中はアタマから湯気が出ているような状態のため一局が終わったあとにグッタリとするのです。 その間にトイレに行ったり、お茶を飲んだりして調子を整えていました。 暁塾で休憩時間を設けているのもぶっ続けではしんどいし、却って非効率になるからと思うからです。 そういったわけで、どの暁塾生も一生懸命勉強すれば90分くらいでグッタリするはずだと考えています。 ただ、暁塾に来たときは元気がなくても帰るときには打って変わって力強い挨拶を聞くこともありますが。気分転換でも差があります私の塾では、ぶっ続けで勉強させることはなく、授業の合間に必ず休憩の時間をとります。決して、私が休憩したいからではありません。 子供の集中力を維持するには必要なことだと考えているからです。 勉強できるか、出来ないかは、勉強している時ではなく、休憩している時の様子を見るとなんとなくわかります。 それは、普段、家にいるとき、子供たちが、どんな風に気分転換を図っているのか知ることが出来るからです。 スマホをピコピコ始める子や、ボーッとしている子、カバンから本を取り出す子まで様々です。 私は「何をしてもいいよ」とは言っていますが、毎回の授業で、休憩の時があるのですから、子供たちの行動と成績の関係に嫌でも気づかされます。実はアタマが疲れる暁塾 折角暁塾へ来るならば、なんとなく椅子に座って、なんとなく授業を聞いて、なんとなくわかったような気がして家に帰って欲しくありません。それならば、暁塾に来る意味はないでしょう。 御存知の通り、暁塾は厳しいことはありません。むしろ、褒めて褒めて褒め倒すぐらいです。私が中学生の時に通っていた塾では厳しかったため、その正反対を心がけています。 しかし、そんな暁塾にも実は厳しい面はあります。 それぞれの生徒の理解度や性格に合わせて課題を出すために、それぞれの生徒にとって難しすぎて解けないといったような問題や宿題はないからです。 つまり、生徒の打ちやすいコースであったり、あと一歩頑張れば張れば打てるコースにボールを投げるので、「出来ません」という言い訳が通用しないのです。 授業メインの塾ならば座っているだけで、その時の生徒の頭の中がどうなっているかわかりません。 他に挙げられる点は集団授業の形式のデメリットとしては、指導者側が自分の言葉に酔いやすくなる点です。 アルコールが強いと、酔いが回りやすくなるように、個別指導に比べ生徒との対話が一方通行になりやすい集団授業の場合は、指導者側が自己陶酔に陥り、周りが見えなくなりがちなのです。 そして、教師から「わかった?」と聞かれれば、同じ学校に通う友人たちの目も気にする年頃なので、よほどのことがない限り、つまり、わかっていなくとも「わかりました」と答えてしまうので、わからない点が隠されてしまいがちなのです。 実際には、成績を上げるには、それからの練習が必要です。 だから、暁塾では演習を重視しています。問題を出せば、生徒がわかっているのか、問題が解けるのか、遠慮してわからないことを言い出せないのか、分かるからです。 みんなそれぞれ勉強内容は異なります。 その生徒が今持っている知識を総動員してできる、前後のレベルを出しつつ、少しずつ難しい問題ができるようにしているので、生徒は実はとても疲れるのです。 授業は基本的には行いません。勉強というのは本来、ポイントをかいつまんで説明すればこと足りるからです。 5分も10分もかけて理路整然と説明するよりも、要所を抑えてポイントを1つ2つ説明するほうが、生徒の頭に残ります。 だから、生徒は出来ないことをするのではなく、できる問題を解くのですからサボりようがないのです。 学校の成績を上げるためには、どれだけ脳が汗をかくかにかかっています。と、またエラソーに書いたものの、言う側は簡単ですが実行するとなると大変ですね。時代の流れに乗る 「ファミコンで将棋が指せる」とカセットを買ったのが、今から35年ほど前のことでした。その時は私はたまたま小学2年生で、将棋を覚えて1年ほどしか経っていない私でも、 余裕で勝ってしまうような代物でした。 長い間、プロ棋士の緻密な読みの前に、コンピューターは到底及ばないと考えられていました。 しかし、徐々に研究が進み、アマチュア強豪に勝ったり、詰将棋ならプロ棋士も敵わないと言われるようになった頃から、将棋ソフトに対するプロ棋士の見る目が徐々に変わってきました。 最初はAIが棋士の存在や将棋そのものを脅かすものになるのではないか、といった悲観的な意見もみられました。しかし、今は空前の将棋ブームです。 トッププロが将棋ソフトを研究に利用するようになると、ほかの棋士も使うようになることが増え、今までの将棋とは違った種類というのでしょうか、人間が思いもよらなかった 指し手から新たな将棋が生み出されるようになったのです。 将棋は日本の伝統文化の一つでもありますが、現代のプロ棋士の先生方は最新技術を使って研究しています。 このことから『伝統』というのは、習慣やしきたりに固執して、新しいものを一切受け付けないといったことではないことに気づかされます。何百年間も続いているということは、その時代に合わせて対応してきたということでしょう。 コロナ禍の影響を受け、暁塾にも最近ビジネスの世界でよく聞かれるDX、デジタルトランスフォーメーションの波がやってきました。 DXとは、アナログからデジタルに置き換えるということですが、今では生徒や保護者の方々がテストの過去問をインターネットを利用することで、いつでも、どこでも見られるようになりました。 また、自習室は専用のICカード一枚で、自由に入退室できるようになり、朝9時から23時まで365日自習が使用可能になりました。 誰がいつ来たのか管理できますし、テスト前など特に自宅よりも自習したい生徒には重宝がられています。 また、今までは月謝袋で授業料をいただいていましたが、銀行振込みも選べるようにしたところ、半数以上の保護者の方が銀行振込みを選んでいただいています。 ほかにも、暁塾では普段は問題テキストを中心にですが、時折プリントを使って問題を解いてもらうこともありましたが、いまでは、写真を撮ってラインで送ったり、クラウドサービスを利用することで、いつでも見ることが出来るようにしました。 同様に、毎月のおたよりも紙に印刷することをやめて、ラインの「グループライン機能」を利用することで保護者と生徒に毎週連絡することが出来、出席や欠席の連絡はLineに統一したことで、連絡漏れなどもなくなりました。 塾の体験授業の前にはZoomでの面談をすることもあります。 それまではどちらかというと、アナログで対応していましたが、生徒に役立つものは積極的に新しいものを採り入れていこうと考えています。サジ加減も勉強のうち~生徒の状況に応じて宿題を出す~暁塾は宿題の量はそれほど多くありません。 まだ私も若かった頃 「センセー、ウチの子はやる気があるのでたくさん宿題を出してください」とその勢いに押されて暁塾にしては多めの宿題を出したことがありました。 それでも、1時間くらいかかるかかからないか程度で、ほかの塾と比べると少ないのかもしれません。 確かに、勉強時間が長いと表面上は勉強したことになります。 しかし、それが誰にでも通用する話ではないと気づくのにそれほど時間はかかりませんでした。 次の授業で、子どものノートを開けてみるとほとんど間違えていたのです。 家で間違えた方法で問題を解いていると、塾でチェックするまでにその誤った解き方を身につけてしまいます。誤った癖がついた後、いったん元に戻して正しい解き方を身につけるには却って時間がかかってしまいます。つまり、頭に入れた知識をいったん外に出してもらってもう一度正しい知識を身につけてもらう必要があるのです。そんなわけで、やる気と学力があればそれ相応の量を出すけれど、やる気はあるけれど、その時点であまり勉強が得意でなければ、英単語の意味を調べたり簡単な計算問題といったような10、15分で終わる分量にとどめます。でも、これを親御さんに理解してもらうのはちょっと難しいのかもしれません。万人に通用する勉強方法がありそうでないのが、暁塾のような小さい塾でも生き残っていける理由の一つなのかもしれませんね。テストの点数がひと桁の生徒は大歓迎です「どれだけテストの点数を上げられるか」は塾に与えられた役割の一つですが、実際のところ、成績が上がりやすい生徒と上がりにくい生徒がいます。私の場合、初めて塾にやってきた生徒が、ほとんどの科目でひとケタの点数だと、「ヤッター」と思います。 なぜなら、一番点数を上げやすいからです。 今まで全く勉強をやっていなかった場合、教えれば教えるだけ、そのまま吸収してくれます。だから、ひとケタの点数だと10点台や20点台にすることは簡単です。ちょっと勉強すれば、もう点数が上がるのです。 テストで40点とか50点とかこれはちょっと極端な例ですが、最終的に90点台になった子がいてビックリしたこともあります。 そんな子は暁塾のファンになってくれます。 反対にこれが最初から50点60点くらいの場合だと、点数を上げにくいのです。どうしてかというと子供は自分なりの勉強方法を確立してしまっているからです。復習をするにしても、「ここは一つずつ丁寧に、やったほうがいいのに」とこちらが思っていても、そのままアドバイスを聞き入れる生徒は一ケタの生徒と比べると少ないように思います。 「今までと同じやり方で勉強したら同じような結果しか出ないのになあ」なんて思ってしまいますが、その生徒の考え方を変えるようにするのも私の仕事の一つといえるでしょうね。