自分語りをしても仕方ありませんが、まあ勉強に多少関係するところもあるで、今後つらつらと書いていこうと思います。指導方針はムダを省く暁塾の指導法に行き着いたワケあなた任せより自分任せの人が集まる塾に真面目保険を利用する時 「どうして勉強しなくちゃいけないの」 そういったわかりきった質問をする生徒がいます。 こういう生徒には抽象的なことを言っても仕方がありません。 具体的な説明だと納得してもらえます。 思い起こせば、中学生の時、私にはいつもクラスに一人は好きな子がいたのですが、ある日、その中の一人が国語の授業が始まってしばらくすると、どういうわけだか私にプリントの問題について質問をしてきました。 「しめた」と思った私は黒板の前に立っている先生を横目に女の子にマンツーマンで勉強を教え始めました。先生も不思議なものでいつも真面目な生徒がたまに不真面目になっても注意をしません。こういったときには、真面目保険が適用されるのです。 そうこうしているうちに私が女の子に質問されたのは1つだけだったハズなのに、 「これも大切だから」 「ココとココの内容が関係しているところだから、」 「いい問題をつくってあげる」なんて言って、十以上の問題を出していました。 なんといっても、彼女が問題を解いたら次の問題をつくりますし、解けなかったら解けなかったらで、類題をつくったり、解説したりと忙しいのです。 その結果、1時間の授業が終わるまでその女の子と過ごしました。 真面目保険は掛け捨てではなく、一生涯の積み立てなので、使いたいときに使えるのです。 みんなが見ているなかで堂々とデートする機会なんて滅多にあるものではありません。「だから普段から勉強をしておけば、授業中に誰からも文句を言われず、自分の好きな女の子を独り占めできることもあるんだよ」、 こういう話をしたあとはみんなも勉強に身が入るようです。 家庭教師を始めて知ったこと学生時代には私はコンビニ店員、イベント設営スタッフ、皿洗い、警備員、居酒屋ホールスタッフ、将棋関係などなど色々アルバイトをしましたが、そのなかで一番性に合っていたのが家庭教師のアルバイトでした。学生時代に色々なアルバイトをしたのは飽きっぽい性格もありますが、実は向いている仕事がほとんどなかったのです。だから、高校3年生の3月に初めて皿洗いのアルバイトを始めたのに、5日もしないうちにクビになってしまいました。スポンジでゴシゴシこすっていてもお皿についたグラタンはなかなか取れず、まごついていると、店長の逆鱗に触れてしまったのです。お昼の忙しい時間帯ですから怒られても仕方ありません。しかし、悪いことは続くもので、そんな時に洗いたてのフォークとスプーンが入ったケースを厨房の床に落としてしまったのです。そのあとも色々アルバイトをしていましたが、大学2年のある日、anの求人誌を見ていると家庭教師のアルバイトが目に飛び込んできました。 時給は1500円からで、当時働いていた皿洗いのバイトは800円でしたから倍近くもあったのです。 バイト雑誌で見つけた会社の面接を受けて驚いたのは、生徒を紹介された時に、指導方法や使用教材については「山本センセーにお任せします」の一言で済まされてしまったことです。 これは大手をはじめ、どの家庭教師派遣会社にも言えることでした。 私が住んでいる場所の近くに生徒がいればマッチングとなり、そうでなければ、生徒が見つかるまで仕事はおあずけとなります。 教育会社としてよりも人材派遣といった面に重きが置かれているのです。 そのため、私は生徒の学力やどんな問題集を使ったら良いのか、生徒からどんな質問をされるのか、不安を抱えながら指定されたお家に自転車で向かったのです。初めての家庭教師 家庭教師の派遣会社からは中学一年生の不登校だと聞いていたので、大人しいんだろうな、と思いながらインターホンを押すと、玄関に姿を見せた生徒の髪の色は金色に染まっていました。 予想とは違って少々驚いたものの、対する私はクチの悪い友人からは『焼きそばパーマ』と言われるようなボリュームのあるアタマをしていたので、似たようなものだったのかもしれません。 自己紹介もそこそこに数学の方程式を教えていたのですが、彼は緊張していたのか真面目にシャーペンを動かしていました。 90分授業だったので、ちょうど40分くらい経った頃に「そろそろ休憩しようか?」とノートに向かっていた生徒に声を掛けると、私の目に飛び込んできたのは白いボールペンでした。 「センセー、タバコ吸う?」家庭教師として求められている人材 家庭教師を始めてからは1ヶ月に一度『指導報告書』をその生徒を紹介してくれた会社まで持って行きました。 どのような内容をどういった風に教えているのか、記載したものを提出し、担当の方とお話をするのです。 私は3つも4つも家庭教師の会社に登録していたのですが、報告に訪れると、どの会社でも電話で保護者の対応や新規営業をしている光景が広がっていました。 CMや新聞広告などのイメージからどの会社も、一見したところ教育事業の殻に覆われていますが、中身は人材紹介会社、派遣会社といったほうがより正確といえる状況でした。 その他にも気づいたことがあります。 アルバイトを始める前はクチベタな私が、中高生に勉強を教えられるだろうか?と内心ビクビクしていました。 家庭教師を頼むおうちは、学校と塾で勉強しても物足りない中高生を持つ教育熱心な御家庭だといった先入観があったのです。 ところが、そういう生徒は少数派でした。 家庭教師の派遣会社は学校や塾で勉強を習ってもわからない原因がわからないといった生徒や、学校へ通っていないけれども、進学を見据えて勉強したいといった生徒たちの受け皿だったのです。 そのため、ガンガン勉強を進めるよりも、「ウン、ウン。そうだね」と言って、生徒に寄り添うようなセンセーが求められていたのです。教え子に教えてもらうように 私が家庭教師をした生徒は学校に通っていないことが多かったのですが、不登校生が相手ならば、勉強一辺倒とはいきません。 大抵、初日から部屋に案内されて二人きりになります。 ところが、彼らは警戒しているといった風で私のことをじっと観察しているのです。 生徒に語るような話を持ち合わせているわけではありませんが、そうなると、いままでどんなことをしてきていまはどんなコトをしているか話さざるを得ません。 そこで、自分がいかに素晴らしい人間かという風に伝えるよりも、私が如何にダメ人間かということを伝えたほうが心を開いてくれることに気づいたのです。 今でこそお腹がせり出すくらいになりましたが、中学生になった時は背は低いほうから2番目で、体がとても小さかったので、よくからかわれもし、喧嘩もしました。 1勝9敗ペースでした。 また高校の柔道の授業では、「コイツには勝てるな」と思っていた相手にさえ引き分けで、クラスの誰からも勝ち星を挙げることが出来なかったようなことをボソリボソリと話し出すと生徒は心なしか喜びの色を目に浮かべるのです。 そうこうしているうちにドアがノックされます。 今度は私が喜びを噛み殺す番です。 お菓子とジュースが運ばれてくるのです。 だから勉強も教えはしましたが、彼らの話し相手にこれ務めるといった時もありました。 私の経験からは不登校生の大半は、学校に行っていないだけで勉強は苦手ではないケースが多かったです。 またコミュニケーションをとりづらいかといえば、そういうケースは少なく、興味のある事柄であれば、自分から進んで喋る生徒もいました。 私が家庭教師をしていた時ですから20年以上前になりますが、いまでもつき合いのある元生徒がいます。 私も年相応にいままで色々な人に会いましたが、彼はそのなかでも、抜群に頭が切れます。 クチを開こうとすると、こちらの考えていることがスグに伝わるのです。 バイクやパソコンなど自分で部品を分解したり取りつけたりするくらいなので、私がパソコンにトマトジュースをこぼした時などは嬉しそうに直してくれるような親切なところもあります。 最近も安くて性能のいいパソコンを紹介してもらいました。 今では教え子に教えてもらっています。長い面接から先生をお願いしています 勉強を教えるには一定以上の学力は最低限必要です。 しかし、誰でもいいというワケでもありません。 私自身ボーっとしているところがあるので、暁塾の講師やYouTube編集、4コマ漫画担当者のように卒業生で暁塾のことを知っていて、なおかつしっかりしている人でないと安心して任せられません。 もちろん、「しっかりしている」というなかには「時間やお金にきっちりしているか?」「言ったことは実行するか?」「サボり癖はないか?」といったようなモノサシが含まれています。 しかも、私は親御さんや兄弟も知っているので、これほど心強いことはありません。 いま暁塾に通っている生徒や卒業生たちも「暁塾に勉強しに来ている」と思っているかもしれません。 しかし、私からしてみると、どんな性格でどういった風に学生の本分である勉強に取り組むのか、いわば一人ひとりの仕事ぶりがよく見えるのです。 だから「数年かけて面接しているようなもの」といったら叱られてしまうでしょうか。 それにしても、学習塾をしていて感じるメリットの1つは人材がすぐに集まるということです。 生徒のみんなを見ていると、勉強だけでなく、コツコツ机に向かうのが得意だったり、営業なら優秀だろうといったようなそれぞれの気質に合った職種に気づかされます。 恐らく、他の事業をしている社長さんならば、同じ人材を会社に迎え入れるにしても、採用にかかるコストは相応のものが必要とされるでしょう。 しかし、私の場合はライン1つで連絡が出来るのです。 そう考えると、学習塾という仕事に携わっている人々は、これからは人材紹介会社やフリーランスのサポートをする仕事に目を向けると良いのかもしれません。教える気持ちよさに酔う 家庭教師をしていた時、元々は90分と決められていたところを30分オーバーして2時間教えていることもありました。予定の時間を延長していたのです。 生徒はいい子なので、隣で真面目に聞いてくれていました。 私自身もサービスでたくさん教えたし、満足していました。 しかし、それでも彼の成績は上がらなかったし、上がる兆しが見えなかったのです。 その時ようやく、問題を多少解くだけで、説明を中心にして授業を進めると生徒は聞いているだけになりやすいことに気づいたのです。 センセーと呼ばれるような立場にある私たちのような人間が気をつけないといけないことは、教えている気持ちよさに浸ってしまうことです。 長時間教えることは、一見良いことに思えますが、教える気持ち良さに酔って、生徒の成績を上げるという本質的な問題からズレることにつながることがあります。 生徒にしてみても、他人に教えられることと、自分が勉強することは全く別です。もし、センセーの話を聞いて勉強ができるようになるならば、NHKの教育番組やYouTubeでこと足ります。(知識を仕入れるにはオススメですが) また、一流シェフの傍にいるだけで、それと寸分たがわないような料理が作れるようになるかといえば、そんなことはありません。 モノを教えてもらうところまでは他人の頭を借りればいいでしょうが、最後は手や口や耳を始めとして、自分の脳ミソを使わないと、成績を上げることは出来ません。 私自身、「塾の授業中にわかった」とならず、家で問題を解く中で、ようやくポイントを掴めるようになったことがよくありました。 暁塾ではポイントを教える時間は極力短くして、問題集を解いてもらうことに重きを置いているのはそういった苦い思い出からになります。塾を始める前に決めたこと 学生時代に家庭教師を長く経験していたこともあり開業に至った暁塾ですが、なんといっても少子高齢化が話題に上ることの多いご時世です。普通に考えたら、将来的にパイの小さくなる業界で働けば損に決まっています。その欠点を補う特長を打ち出さなければ生き残っていけません。そこで決めました。それは『怖い先生にはならない』ということです。というのも、私が中学生の頃に通っていた塾長はそれはそれはオソロシイ先生だったからです。それにも関わらず皆が通っていたので、先生の教え方がウマかったといえるのかもしれませんが、力によって授業に集中させるように仕向けることには子ども心に反発を感じていました。そういったこともあり、私は北風よりも太陽を選ぼうと思いました。怒るだけなら誰にでも出来るけれども、それをせずに生徒の気分を良くさせて成績をアップさせるのが、モノを教える人間としての腕の良さだと考えたのです。だから、私の塾ではやかましい子がいても、注意の仕方が他とは違うんです。「ウチの塾の規則を知ってる?」 そう尋ねると大抵の子供は怪訝な顔をします。 そこでボソッと言うんです。「ズボンと口のチャックは閉めとくんやで」気持ち良く授業を進める法 草食系でもあり脱力系でもある私ですが、次第に指導のスタイルが固まっていきました。どういった風に授業を進めているかというと、とりあえず褒めています。 それだけ聞くと随分適当にやっているなと思う方もおられるかもしれません。 しかし、これでも結構気を遣っているんです。 例えば、勉強を頑張っていたら「よく集中しているね」と声をかけます。 これは当たり前ですかね。ではお喋りを始めた生徒にはどうでしょうか? 私は「話が面白いなあ」と言います。ここでガツ-ンといくのは私の柄ではありません。思うに、勉強が苦手な子は集中力が途切れることが多いようです。いや、集中するところまで到達していないようにさえ見受けられます。しかし脱力系はそこらへんの塾とはちょっと違うんです。こんなことを書くと誤解を招くかもしれませんが、シャーペンを握る手が休んでいるのも、息抜きでお喋りしようとするのも私にすれば、ある程度許容範囲です。 みんながみんな勉強が好きなわけではありません。 勉強の苦手な子がいるから塾が必要とされるのであり、その苦手な子が少しでも自信を持つことが出来るようにすることが私の務めかなと思っています。 でも過ぎたるは及ばざるが如し。そんな思いで少しでもいいところがあれば褒めるのですが、子供は結構見抜いています。 「褒められても全然嬉しくない」と口に出す子もいるんです。 どうやら現状よりももっと高いところに目標を置いているので、ちょっとやそっとのことで言わないで欲しいらしいです。 人が折角褒めているというのに、これでは褒め損になってしまいます。なんとも難しいものですね。 先生稼業も楽ではありません 暁塾のような、こじんまりとしたところへ通ってくれる生徒がいるのはありがたいことです。 周辺に、つまり近所に、ライバルの教室はいくつもあります。 チラシを見ただけでは、個人も大手もそれほど大差ないように思えます。 だから、他と変わり映えがしないようでは、生徒は他の塾に行ってしまいます。 少しは変わったことをしなくては太刀打ち出来ないと思って1年目から続けているのが、朝の自習です。 本当は毎日したいところですが、それではモヤシっ子の私の体力がもちません。 そこで、定期テストがある当日の朝7時から8時過ぎだけしています。 自由参加なので、来る子もいれば来ない子もいます。 眠い目をこすりながらやって来る子もいますが、これは生徒からも親御さんからも好評なようです。 考えてみれば、大手で朝の1時間だけ教室を開放しようとすると、学校によってテストの日が違うとか、先生に払う給料の問題などから簡単には出来ないのでしょう。 いいのか悪いのかわかりませんが、これは私の塾のスケ-ルが小さいから出来ることなのかもしれません。 他にも特色を打ち出しています。 1年に3回ほど、塾でパ-ティーをするのです。 前回は、私が腕によりをかけてホットケ-キをつくりました。 そう書くと楽しそうですが、私がつくっている間にも、 お腹を空かせた生徒はピ-チクパ-チク言います。 アッチで、「まだ?」と言えば、「少々お待ちを」と私はその口にお菓子を詰め込んでやり、コッチで「喉が渇いた」と言えば、紙コップにジュ-スを注ぎます。 さながら子どもにエサをあげるスズメの親のようです。 いつも、狭い部屋の中は子供でいっぱいになりますが、気づいてみれば、そのうちの3分の1はウチの塾の生徒ではないこともありました。 それでも、口コミになるかもと思い、私は何にも言いません。 ここまで読んでくると、先生としての威厳がなさすぎるのではないか、と仰る方もおられるでしょう。確かにその通りかもしれません。でも塾もサ-ビス業なのです。私はお客さんに目いっぱいのサービスをするのです。しかし、尽くすだけでもありません。実は、私は料理をしたことがほとんどないのです。 だから、今まで暁塾でつくったタコ焼きも、焼きそばも、ホットケ-キもそれまで自分一人でつくったことがありませんでした。 つまり、ココだけの話、子供は毒見係といったところなんです。 味の保証は出来ないと知っている私はいつも、自分の作品を目で楽しむばかりなのです。 噂話にご用心 塾の仕事を自分で選んでから10年以上になりますが、有名人の苦労が少しわかるような気がします。 自転車に乗っているところや近所のスーパーで買い物している姿を生徒に目撃されているようなのです。 別に悪事を働いているわけでもありませんが、こうなると、大袈裟にいえば私生活があってないようなもので、塾の近所ではいつも誰かに見られているという意識を持つようになりました。 また中学生、高校生にもなれば、男の子でも女の子でもファッションにも関心を持つようになります。 私は服なんか着れればなんでもいいと思っていましたが、「カッコ悪い」「色の組み合わせがおかしい」はたまた「顔がおかしい」と子供からファッションチェック?が入ることもあって少しはマシなモノを着るように心がけるようになりました。 ウチの塾の生徒の多くは中高生ですが、彼らにとって友達との話題の多くは学校、塾、クラブの出来事になるでしょう。 小学生の頃だと、先生は絶対的な権力者ともいえるようにみんな言うことを聞いてもくれるでしょうが、中学生、高校生にもなれば、先生を見る目利きも出来るようになってくるし、人の悪口を言うことを覚える年頃です。 最近、新たに塾にやって来る生徒はいまウチの塾で勉強している友達に誘われて、といったパタ-ンが多くなっているので、私は塾の評判を気にするようになっています。 その一環として生徒との話し方にも気をつけています。 先生である私が卑屈になってはいけないけれど、子どもに対して横柄な態度をとらないように心がけています。 学校も塾も勉強する場に変わりはないけれど、学校は義務教育だから通わなければならないけれど、塾はどこにでもあるのだから、気に入らなければすぐに他の塾に移ってしまいます。 だからお客様である親御さんと生徒のニーズを汲み取っていかなくちゃと思っています。 そんなこんなで私なりに気を遣っている積りですが、それでも悪い評判が立ったらどうするかといえば、対抗する方法は一つしかありません。 面の皮を厚くして世間をわたって行くしかありませんね。生徒にはいろいろ教えられますどんな風に教えるかも大切ですが、どんな人から教えられるかも大切です。 暁塾を始めて間もない頃、まだ私一人で教えているときに悩んでいることがありました。 チラシを一日数百枚配っても、まったくと言っていいほど反応はありません。 女の子には、イケメンの講師がいいのか悩んでいたことをポロっと口にしてしまったのです。 すると、ある女子生徒は私のことを気遣ってくれたのです。「センセーくらいの顔のほうが勉強に集中しやすいです」 その言葉でなんだか、いろいろと吹っ切れたような気がしたのです。